私が少々他の着付けやさんと異なるところは、恐らく着付けだけでなく、時に着物を探すところから始めることかもしれません。最初は小物等を探したりすることから、始めましたが、1から作るのをお手伝いすることもあります。きもの好きにとっては、楽しい楽しい作業ですが、あちらこちらを訪ね歩くうちに、なかなかどうして本当に信頼関係を結べる店を探すのは難しいことだと思うようになりました。そして、よい仕事が、真に評価をされるのは、数十年を経てからということもあり、着物の怖さでもあるのです。

初めて私が着物を誂えてもらったのは、高1で、おことの海外演奏会のために誂えた白の振り袖の舞台衣装でしたが、生地がよく、光沢があり、流れるような地紋が美しいものでした。数年して、うちに来てくださっていた愛染さんという、染屋さんが、地紋を生かして、綺麗な流れるような総柄の花の小紋に、染めてくれました。とにかく気に入ったのと、当時毎日着物を、仕事できていたため、かなりのヘビロテで、その着物を着ていた結果!!なんとなく、美しいピンクだっだものが!全体的にくすんだかんじになってしまいました。染屋さんに、こんなに着てくれたら、私も嬉しいですよ。これ、もう一度上から色をかけようね。といわれ、渋々と、染め変えることになったのです。輝くように美しいピンクから、みどりの色をかけてくださったのですが、あの美しい色がなくなってしまった!と、悲しい気持ちになってしまい、その着物は、長いことタンスに眠り続けることになりました。

2月に母が他界し、何気なく手に取ったその着物は、20年の時を経て、今私に実にぴったりと合うものなっていました。白生地の美しい地紋も、流れるような総柄の花も、淡いピンクの名残も全て残しながら落ち着いた、淡い緑がかかっていました。染屋さんのご主人もとうに亡くなっていましたが、染め変えた時に、嬉しそうに見せて下さったのを、覚えています。

先を見越して染め変えてくれた母も他界し。亡くなってから、初めて袖を通したのです。こんな風に、私に寄り添い、力付けてくれる着物があること。本当によい仕事はきっと、数十年たってから、判るようなこともあるのでしょう。三十年姿を変えながら、寄り添ってくれた着物。今となっては、私の大切な宝物です。