二十年近く前のファミリー写真館の草分け期に、一緒に仕事をしていた仲間の方々とは、未だに仕事上においても、プライベートにおいても付き合いがあり、私にとっては大切な方々です。着つけも衣装も済ませた上で写真館に訪れる形の、敷居の高かった町の写真館を、身近にそして多くの方々が親しんで貰えるように、衣装を提供し、それに伴う着付けヘアセットを行う貸衣裳と美容院、スタジオが一体型になった写真館ができたのは、僅か四半世紀前のことで、こういうスタイルが広く定着しなければ、もっと着物が遠い存在になっていたかもしれません。勇気を持って新しい事業として取り組んできた方々のお陰で今の着物の姿があること、有り難く思います。

一方で、この手軽さの反面、本来もつ着物の意味が少し失われているような気もするのも事実でありまして。一つ一つを合わせていく一見めんどくささの中にある着物の有り様を、もう一度見つめ直す時がきたような気がします。こんなもんかと思わずに、私はこう思う。こんな風にしたい。そんな気持ちを大切に、家族の中に、地域の人々の、伝統の中に引き継がれてきた感覚をもう一度見つめ直す時が来ていないかと考えるのです。例えば、箪笥に眠る着物は、買い取りに出せば二束三文で買い取られる。それを、手放すことなく、地域の方々に生かして貰えるようにレンタルすることは、出来ないものかと数年前から考えていました。家族の定義を、もう少し広げていき、地域の人々を繋げていけば、凄く豊かな世界が広がらないか。そう考えています。シェアリングをしていく。本来着物を、誂えることができたのは極豊かな人に限られ、中古屋や、レンタルも普通に昔からあったわけですから。本来元々そういうもので。私自身もそのような形で、レンタルをしてきました。自分の着物のみならず、箪笥の共有引き出しを、増やしてみたい。少しずつ、賛同してくれる方も増えてきてくれまして、新たな一歩を踏み出すことが出来そうです。