初めて結城紬を、見るために産地に伺ったのは、今から20年ほど前の話ですが、そこである老婦人に出会い、その後何通か書簡でやりとりをしたことがありました。

そのお手紙には、広島の原爆で引き裂かれたご自身の恋について書いてありました。今後、戦争を体験したかたが心のうちに秘めた物語を聞く機会はないであろうと思います。大切に、大切に私の胸の中に留め、時折読み返していました。私信でありましたので、人にお見せする機会もなく、でも、私の中で風化することなく、ずっと心にありました。

先日テレビで、石内都さんと、杉野さんの対談を拝見し、広島の原爆の犠牲になったかたの遺品を、石内さんが写真に収めていることを知りました。写真のなかの衣服は、数十年を経て、被爆してボロボロになっているにも係わらず、美しく。被爆して犠牲になった方々の悲惨さが浮き彫りになっているのではなく、その瞬間に生きていた人の姿を、写し出していたのです。どの人の人生も生き生きと美しかったと、教えてくれた気がしました。毎年新しい遺品が、資料館に納められると聞いて。はたと、それは、遺品を持つ人が亡くなると言うことかもしれないと思いました。大切な人を亡くしても、人は生きていかなくてはならない。誰にも語ることなく物語をうちに秘めながら。その遺品と共に生きてきた人がいて。遺品は触れられれば、雄弁に語りだす。言葉にならない言葉を聞けば、感動的な美しさを遺品が宿していることに気づかされるのです。

私は遺品に触れる仕事をしているとも言えまして、遺品に触れた方々が、堰をきったかのように、亡くなったかたの記憶を話されるのを聞いてきました。言わば着物が持つ物語を聞くことをしてきました。その原点にあるのが、この手紙といえるのかもしれません。亡くなった人と共に私たちは、生きている。言葉を失えども、悲劇に引き裂かれようとも、どの人生も美しい。私はそう思って生きていきたいのです。