2018年4月19日落語長屋の大家の独り言~卯月号
十八年卯月号
「相撲」
5月13日に大相撲[夏場所]が始まる。5月は暦の上では夏である、今年は5月5日が立夏である。最近は、土俵外の闘いが賑やかである、暴力問題、女人禁制等・・・。
それでも、人気は衰えないようだ。幅広い世代から人気を集めている国民的スポーツだ。ルーツは、「古事記」や「日本書紀」に記述された豊作を願う儀式にある。
地面を踏み固め、大地に宿る悪霊や疫病を沈め、豊作を願うもので、力士が取組前に四股を踏む動作はその名残とされている。
奈良時代から平安時代は、天皇が観覧する朝廷行事として「相撲節会(おすまいのせちえ)」として催され、鎌倉時代には武家の間では心身を鍛錬する武芸として,寺社では、豊作を願う神事として行われてきた。そして戦国時代には、諸大名の間で「お抱え力士」を持つことが流行し、娯楽として楽しまれるようになった。
なかでも織田信長は、全国から力士を集め、たびたび御前相撲を取り組ませた。そして優秀な戦績を収めたものには褒美を与え、取り組みを仕切る相撲奉行を置いたほどの相撲好きだったそうだ。江戸時代に入っても相撲人気は続いたが、当時は土俵はまだなく、決まりても確立していなかったため、勝敗を巡り喧嘩沙汰になることがしばしばあった。やがて神社や橋を修復するための資金集めを目的として勧進相撲が、盛んにおこなわれるようになった。興行する際には寺社奉行の許可が必要だった。
現在も相撲番付表の中央に、「蒙御免(ごめんこうむる)」と大きく書かれているのは、勧進元(興行主)が然るべく許可を得たことを示す。当時のしたりが残っていることの証左である。興行が常態化すると、庶民の娯楽として、定着した。
決まり手も増え、明確なルールにのっとり勝負することに面白さが倍増。
さらに谷風や小野川といったスター力士の登場で、相撲人気はますます高まりを見せ多方面で出庶民文化の発展に貢献した。やがて、歌舞伎、寄席と並ぶ、江戸の三大娯楽として庶民に親しまれた。
落語にも、親孝行の「佐野山」、食い物の恨みで横綱になった「阿武松」、張り手の「花筏」らが登場するが、なんといっても、大関までなった力士が、なぜかやめて故郷に帰り豆腐屋になるという「立田川」が大スターである。