古い着物をリメイクすることをしようと思ってと、言われたため、心がけておきますね、とお返事しましたら。着物を誰かに差し上げたいとの、ラインがすぐに友人から入りまして。

縁というのは。こういうものね。と、いつも、思います。めでたく今日、お二人を会わせて、お着物の受け渡しをいたしました。

作る人は旧知の仲でありますが、果たして出会ったきっかけが、双方とも記憶になく。着物のイベントなどに、来てくださることにより、親交ができたのですが。着物をいとおしそうに触れながら、生地を見る目の確かさに驚いていましたら。お母様が、産着の仕立てをなさる方で、着物の端切れで、いつも遊んでいたとのこと。お人形さんのお布団が、着物の裏地の羽二重なんて、贅沢な話だね。と、笑ってお話していました。

お着物をどうするか悩んだ挙げ句、連絡を下さったとき、どんなものかも、判らず途方に暮れていたはずです。確かな品が多く、洗い張りをきちんとしていたため、リメイクにも着用も可能な品がありました。絞りの、ものがたしかな、振り袖の着物は私が預かることになりました。

ご自身が着用された、お宮参りの着物は、手元に残されました。生まれたばかりのお孫さんに掛けて差し上げて、お写真でも一枚残されてもいいかもしれないですね、と申し上げました。わからないとおっしゃっていても、着物に向き合ううちに、自ずと手元に残しておく着物が、はっきりしてくるものなのかもしれません。

着物たちは、新たに命を吹き込まれて、素敵に生かされることでしょう。

今から楽しみです。

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先を見る力というのが、呉服を選ぶ際には必要になりますが、これを誂えたら、いついつ着る機会が出来るかなとか、これとこれは、数年後こんなときに生かせるといいなとか。高いものですから、絶対に後悔してほしくないと思っていまして。

ここにある気がする。これがきっといいと思う。でも、違うのがいいというだろうか?果たしてそもそも、私が一緒にお探しするので、いいだろうか?

そんな、葛藤がいつもあります。これは、指導においても、着せる時にも同じです。 

一つの店では、狭すぎてしまう。結果、「雇われて仕事をする」という選択肢が、徐々になくなっていきました。それに、そろそろ、雇われにくいお年頃だしね。自虐じゃなくて、事実だし。(笑)

もちろん、この商売、人の縁ほど大切なものはなく、ご縁を自分から切るようなことはせず、求めに応じて仕事をしていきたいと思います。

「自分の力は、求められているか?」

この問いは、崖っぷちに立たされるような恐怖心があります。

それでも、一つずつ丁寧に答えていくことだけが、次へと進む扉を開ける方法なのだと思います。

友人は、オファーに、100%のプランを出し、お客様に選んでいただく。といいました。

限界値で勝負をするのは、勇気がいることです。打算もなく、収支も考えず、ひたすら何がベストなのか、考えて提供することをしているうちに、私の利益を、向こうが考えて下さることが増えてきた。利益というのは、金銭的なことのみでなく、技術であったり、人脈であったり、様々な形で現れたのです。自分の利益を優先する人は離れていき、求めに真摯に応えていけば、その先に利益がついてくるという考えの人が集まってきたのです。

今度は、その人たちに、十分な利益を与えられるか、大体において、そういうものは、果たして可能か?!という気持ちになります。すると、益々何をして差し上げられるかと、考えるんですね。ところが、追い付かない。

私は、お客様にも、仲間にも、師と仰ぐ方にも、家族にも与えることの豊かさを教えられている気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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