北鎌倉から、鎌倉に少し2分ほど戻った線路沿いに古民家ミュージアムがあります。月曜日であるということと、お天気のせいもあったかと思いますが、ゆっくりと古民家の落ち着いた中で、古い自然布を見ることができました。

苧麻布、葛布、太布、藤布、品布、芭蕉布・・・日本の自生する植物や、栽培されたものから布たちは、古くから、日本人の生活に馴染みが深いものでした。木綿の栽培はごく400年ほど前から始まったもので、それより以前は、長い間ずっと日本人と共に生きてきたもの。これらの天然繊維は短繊維で、絹のように長い糸にはならないので、短い糸を繋ぎ合わせていかなくてはなりません。裂いた繊維を繋ぎ一本の糸とすることを、糸を績(う)む。といいます。対して木綿や、絹を真綿からとる場合は、紡ぐといいます。今でこそ膨大な時間を費やして作られるため、高価な夏の衣料として珍重されている古代布は、庶民と共に歩み、生きてきたもの。野山に自生するものを材料とし、手間をかけ糸とし、染め上げて布地に織る。素朴なものを、想像していましたが、美しく染色が施され、婚礼衣装になっているものや、子供の晴れ着になっているものを見るにつけ、私たちの祖先は、私たちが思うより、遥かに自由な心で、この美しい布を、作り上げて纏っていたのだろうと思います。自らも自然の一部として生きる。厳しい自然の中で、生きるからこそ生まれる布がある。時に長い長い冬を生き抜くために。不純物を取り除くために、雪や海の偉大な力を借り、白く輝く布になる。

自然の恩恵を受けて生きていることを忘れないからこそ、自然の姿を紋様に移し、色を頂き。

時に汚れて、元気のない着物は、ほどかれて元の反物に戻って、故郷の海や雪の上に晒されて、生き返るのです。故郷に、帰り人が鋭気を養うのと同じように。

古代布には、布を慈しみ生きた人の姿がある。だから、私たちの心を掴んで離さないのかもしれません。

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