最近は、着付け師のかたと沢山知り合えて、凄く刺激を頂いています。なかには、浴衣のお直し処のボランティアをされている方もいて、必要なことかもしれないなとも思います。ある意味、自分の仕事を横において、着崩れた人のお直しをかって出るわけですから。着付け師として、色々な思いがあるのでしょう。

「全く、腰ひもを使わないで着てる人もいるのよ。」

「え?どうやって?」

「落ちてきたら、たくしあげて帯に挟んで。」

「また、落ちるのでは?」

「だから、またたくしあげて。暫くは綿だし、汗で張り付いてもつ。」

「・・・・」

「これじゃ、困るから、腰ひもを用意していくの。」

「二部式の着物も難儀と言えば難儀で、後は、端にリボンが既に出来てる帯が困難。」

「作りの角帯も、難しいですよね。

着付け師がどうやっても、上手く出来ない着物って。ある意味すごい」

「浴衣の縫製も、衣紋が抜けない作りになっているし。」

「反物の幅だって。幅広で最初から作られているから、衽だってつまんであるだけよ。」

「何が出てくるか解らないのよ。」

「しかも、着崩れていると自覚はないから、会場の外で、崩れている子に声を掛けさせてもらって。」

「腰ひもまで、持ち出しでは大変では?」

「有志の方に不要な腰ひもを寄付してもらってる旨をお伝えして、着付けてるわ。終わると、こんなに着物が快適に着れるものなんて、と感激してくれるのよ。それが、嬉しいかな。」

「お代は?」

「無料です。とつたえていますが、腰ひもを寄贈してくれている方に、お気持ちがあるようでしたらと、貯金箱を用意はしています。」

半ば途中からインタビューのような感じで、お話を伺いながら、着付け師という性をよく表している話だと思いました。

難しい着物をなんとかどうにかして着せてしまう機転。突然声を掛けて、ふと相手の懐に入れる物腰、相手の気分を害することない、さりげない配慮。こうしたお直しは、着付け師のスキルは高いものが、求められるのです。

涼やかな顔して、楽しげに話す様子を見ていると、何とかして、美しい着物姿を文化として、残していきたいという強い信念と、情熱があったればこその話で、こういう方々と、お仕事ができることを、心から誇りに思います。