今年は鎌倉を中心にぐるりと5名様の成人さんのお支度をいたしました。つくづくこのようなオーダーをいただけて幸せだなと思います。気持ちは親戚のオバちゃんです。私。

沢山の着付師さんが並んで一斉に着せていく現場も嫌いではありません。仲間がたくさん出来て広がりが持てます。ただ、どうしても時間を意識していかなければならない。時に伺うのはクライアントの顔色だったりするので、着付師さんは、思い存分に、自分がもっとも美しい着付けを提供するということに専念できないのかなと思う事があります。意識したわけではありませんが、最近は、私が思うようにさせていただける機会が増えたように思います。

トイレのいき方、車の乗り降り、写真のとられかたをレクチャー、ご家族様と、お着物のいわれを伺ったり、お茶まで時にいただきながら、お嬢様のご様子を見ています。ご不自由が無いか、夜まで着ているのか、草履は痛くないか。脱いだあとのお手入れまで気にしています。ありとあらゆることを想定しつつ、困らないように気を配る。これが、着付師のあり方かなと最近思います。

私がいただいている現場は、沢山の人を着付ける現場ではありません。成人式をかきいれどきと、捉えればきっと違う現場がよいと思うかもしれない。でも、私と仕事をしてくれている人は少なくても良いから、きちんとした仕事をすることを優先して考えてくれる人です。ある一定のキャパシティーを超えれば、ついこなすのに手一杯になります。すると、必ず綻びが生まれてしまう。そのキャパシティーを広げるために手早く日常から手を動かし余裕を持てるようにしていきます。その与力がどれほどあるか、不測の事態が起きるリスクをいかに減らすかそれが大事になります。

沢山の着付師が並ぶ現場で、すべての着付師が、ちゃんと働くように監督する立場の方は本当に大変だと思います。着付け師が、つちかってきたものを否定し、時に罵倒される現場。忘れさられているのは、お嬢様の心。余りの現場に呆れ改善を訴えようと考えたこともありましたが、仲間は、そのことに労力は割かずに、違うことに心血をそそいでほしいと言われました。そのようなことがあっても、己の未熟と捉えて、技術で見返そうとするのが、着付け師です。自分たちの着付けはそんなことでは揺るがないとも言われました。私は本当に彼らを尊敬します。

いつか、クライアントと信頼関係で結ばれ、着付け師が、自分の持てる力を存分に発揮出来る振り袖の現場を、皆さんにご紹介出来たらと思いますが、今は私も自分の出来ることを丁寧に果たしていこうと思います。