2014年8月12日きものを訪ねてその2、会津型
大変不勉強でお恥ずかしい限りなのですが!喜多方市が、会津型といわれる優れた型染めの産地だということをこの度はじめて知りました。
伊勢型、京都、江戸などに並んで、会津型は東北一円の染め屋に販売されていたそうです。そういえば、八重の桜でも、子供時代の八重さんが、愛らしい型染めの晴れ着を着てお殿様の到着を待っていました。木登りをして着物を破いてしまうシーンだったと思います。
あれかしら?などと考えるのも楽しいですね。(ちょっとうろ覚えです。)
さて、この型染め、江戸時代から、昭和の初期まで小野寺家5代に渡って製作販売されていたそうですが、やがて、最盛期を過ぎ、次第に染め屋も減少し、1935年に幕を閉じました。その後、会津型は、小野寺家の蔵で眠り続けます。やっと、陽の目を見るのは1982年。小野寺家6代目当主のご主人が、型紙を喜多方市に寄贈したことから、その存在を知られるようになりました。その数3万7000台だそうで!!数もさることながら、デザイン性の高さ、型彫り師の緻密な技術が評価されて、福島県と、喜多方市の有形民族文化財に指定されているそうです。
この型染め可愛いんですよ。見ていると、テンションが上がってしまう。そう、普段の着物が自家製の縞の木綿。晴れ着が、綺麗な色目の型染めの着物。それはそれは、心が躍るような気持ちだったのかもしれませんね。
現代は、こと細やかに決まった着物の格がありますが、私は少し不自由な感じがしています。
’自分にできる、精一杯。’ これが晴れ着だったのでは?と思えてならないのです。
その精一杯で、お殿様の行列をお迎えしたり、お正月に年神様をお迎えした・・・。
地味であること、色味のない普段の世界があるからこそ、そこにわずかに彩る華やかな世界が、際立って美しいのかもしれません。夏の夜に彩る花火のように。こころ浮き立つ思い。会津型には、そういう美しさがあるような気がしています。
(参考資料 「創作」と「芸術」の街、喜多方で生まれた型染め紙 リーフレット)