全てがフルセットな世の中ですが、(“⌒∇⌒”)

今風になるのも、いいんですが、私はどーしても、どーしても、古いものも生かしたいと考えています。この取り合わせに、頭を常に捻っている状態で、一度などは、レンタルの着物は、お母様が着せたいが、お嬢様は、お母様の着物を着たいというかたがいらっしゃいました。お話を伺うと、お嬢様は、お母様が大好きで、是非古典で流行に関係がない同じものが着たい。お母様は、モダンな雰囲気のお嬢様に今風の着物も楽しんでもらいたい。と、お考えでした。なんだか、お二人の思いがそれぞれ微笑ましく。それなら、両方楽しんで頂きたいと。レンタルの小物を、お母様の着物にあうように、組み換えていき、両方小物を兼用しつつ、なおかつ、違うものを使っているように見えるような工夫をしました。今の伊達襟が4通り使えること、帯留めにも使えて、スタンダードな使い方のできる帯締め、二色の染め分けの帯揚げを使いますと可能になるのです。着物は、インクジェットの技術で、大分廉価品が増えたように思いますが、(呉服選びが大変になりました。)小物は高額な傾向がありまして。こんなことを、あれやこれやと、工夫することが、私は好きなのです。一気に揃えるセットものも、楽ですが、一つずつ丁寧にそのかたに応じてカスタマイズしたいと、考えています。

振り袖をお選びするときは、時にジェネレーションギャップを感じることもありますが、振り袖を着ないという意志を示されるお嬢様のお心うちに、金銭的にご両親様にご負担をかけたくないというお気持ちが隠れている場合があります。

親が考えるよりも子は、親への負担を少なくしたいと願い。親は子が思うより深く、成長を喜び、祝いたい。形に残しておきたいと思うものなのでしょう。子供はあっという間に、大きくなってしまう。どの姿もいとおしいのに、留めておけないから。だから、一番美しく成長した今を、残しておきたい。晴れ着には、そういった思いが込められているんですね。他人からはうかがいしれないような、万感の思いが込められているものです。

その思いは、時にうまく橋渡しされないこともあります。着物がありながら、着る機会を逸してしまい、数十年の時を経て、古いたとうしを開いて、振り袖にふれるとき、価値を再発見されて、「着ておけば良かった」とおっしゃった方も、おられました。

身近にいる人というのは、かえって伝えにくいことも、あるものです。祝い事の着物は、もう一度大切な人への思いを伝えてくれるものなのだと思います。

 

 

ڍׂ͂

丁度一年前から、ミャンマーシルクから小物を作っていくプロジェクトに携わってきましたが、コンスタントに作って頂くことが可能になりまして、継続していく形になりました。

遠い異国で、医療活動を営む名知仁子さんを応援する為のものですが、ミャンマーでのNPOはありますが、これは、現地の活動に限られるため、日本に帰って来た時に、昼を食べるのも困難なほど困窮していたと言われています。

先日の異業種交流会でも、ミャンマーシルクの端裂れを使い革製品を作る人とのコラボレーションが、生まれそうです。庭のデザイナーからは、表札デザインに使ってみたいと提案。お茶をするかたからは、ふくさいれの受注。着付け師としては、黒地の帯に切りばめの布を配置するのはどうかと、話は膨らみます。

これは、実際に制作する人の手腕があってこその話になりますが、布の歪みと向き合いながら、試行錯誤を繰り返しつつ毎度美しい作品として納めてくれる友人には感謝をしています。

ミャンマーシルクは、どうしても色柄が華やかなため、他の布を使って受注制作依頼も頂く形になりました。売上げの一部を寄付させていただく形で、好みに合わせた布を使っての、受注制作も同時に、進めていきたいと思います。

 

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ڍׂ͂