私の着物以外の数少ない趣味(笑)は、映画鑑賞でございまして。同じく数がもっと少ないのが主人との共通趣味で、その最大公約数は限りなくゼロに近い1でございまして、映画鑑賞で、しかも好みが違う。アカン夫婦だな。(笑)私の好みは国内外問わず、豪華な衣装の歴史絵巻の愛憎劇でして、主人にはつまらんとかくだらんとか、一蹴されます。が、主人が面白いと思う映画は、観るように薦められ、眠い目を擦りつつ夜中の観賞会に付き合っておりました。それも、今は昔のお話でございます。今は寝ちゃうもの。(遠い目)

だが、彼の勧める映画は、なかなか面白くて外れがない。それもそのはず、大変な読書家なため、原作をとっくに読んでいるのです。私は逆で、映画が面白ければ原作を読みます。

久々に観るように勧めてくれた映画は、意外なものでした。「この世界の片隅に」

戦時下の広島と呉を舞台にしたこの映画は、広島に住んでいたことがあるものにとっては、どこか懐かしく、そこに生きる人々の姿は、祖父母や父母に重なる。主人公のすずは、顔もしらぬひとのところに、18で嫁に行き、食糧難な時代にあっても、ささやかな楽しみを見つけながら、生きていきます。印象的なのは、きつい性格の義姉が、嫁ぎ先から、戻ってきて、「そんなみすぼらしいモンペ姿はみっともない。」と、意地悪を言うシーンです。すずは、持ってきた着物を裁って、義姉のモンペ姿を参考にしながら、作り替えます。義姉は、すずに作業をする時間を与えて、すずはモンペを作り上げまました。作り上げたところで、義姉は、自分が父母の面倒を見るから実家に帰るようにいうのです。嫁ぎ先から、ボロい格好で帰すわけにはいかない。嫁いでから一度も帰っていないすずを実家に帰してやろうという、義姉の配慮から来る言動だったのです。

戦前の着物は、有るものは、もんぺに姿をかえ、あるものは戦火に焼かれ、また、食糧難のため、食べ物と交換された。そんな様子も映画では描かれています

戦火を逃れたここ鎌倉には、古い着物をお持ちの方も珍しくなく、戦前に作られたとおぼしき、銘仙などをお持ちの方もおられます。あなたが、持っていたほうが、着物が生きるのではないかと言われて、手元に何枚かあります。紅絹の裏地は、どこかなまめかしく、普段着でありながら、着用される機会を逃したといえる着物たちの歩んだ道に思いを馳せるとき、時を超えて私の目の前に現れた着物たちの声が聞こえるような気がします。

。華やかなものは、戦時下では、着用できずし舞い込まれ、あるものは食糧に代えられた。あでやかで、艶やかな姿を見せることなく、潰えた命があったことを忘れてはいけないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ڍׂ͂

着物の仕立てをしてくれている山口さんに最初会ったのは、やっぱり20年ほど前で、着付けを習いに来てくれたんだったなあ。と思い出します。物静かで、芯が強く、当時からご自分の仕立てた着物を着ていらしたのを覚えています。着付けの仕事を再開したのと、仕立て一本で仕事を山口さんがし始めたのは同じ頃でした。

今日友人から裄直しを依頼されていた着物を引き渡したのですが、わずかなことに見えますが、裄がしっかりとあうと、羽織ってもらうと馴染むなあ、という印象を受けます。何より、その人の物にちゃんとなってくれたなあと印象を強く持つのです。取り敢えずまだ着る予定はないけど、直しておこうと思ってと友人は笑いましたが、そうして準備をすることによって、着物が輝きを増して、その人を応援してくれる存在になるんですね。着物ってそういう幸福をもたらしてくれるもの。微力ではありますが、人と着物を結ぶことを今後もしていけたらと思います。

 

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