十七年長月号

貸 本 屋

 

江戸時代では学問書や教養書は、買い求め、娯楽的読み物は貸本屋で借りる、という習慣があった。現代でも公的な図書館で借りる本と自分で買い求める本と、区分があると同じである。はじめ版元が販売と貸本も兼ねていたが、やがて貸本屋が独立するようになった。大衆的読み物多く求められという庶民の需要に応えるものである。

江戸初期の寛永年間から登場し、100軒以上の貸本屋があり、また古本屋も営業していた。中期以降、娯楽本の出版がふぇるのに伴って全国的に広がった。店を構える貸本屋があったが行商のなども現れるようになった。笈(箱)に貸本を詰めて背負って街に出て貸し歩く。といっても通りすがり人に貸すのではなく、大店など素性の知れた人に貸すのである。吉原などにも行商が出向き、花魁が教養を深めるために「伊勢物語」や和歌等の本から、退屈しのぎに読む娯楽本まで取り揃えていた。

それぞれ帳面によって貸し出し図書を管理し、借り賃は、売値の1割程度であった。出版された読み本の多くは貸本屋が取り扱う。

連続小説としてシリーズで読まれる合巻本はその典型になっていく。

特にその代表は「南総里見八犬伝」は曲亭(滝澤)馬琴が28年間にわたり執筆した江戸の大ベストセラー。それが、庶民が気軽に楽しめたサービス業貸本屋の読者を拡大した。文化5年(1508年)のデータでは江戸の貸本屋は656軒、1軒当たり170以上の得意先を持っていたから、10万以上の読者に提供した事になる。

当時の江戸の人口は、100万人超と言われていたので、貸本屋の稼働率も高く、読者人口も驚くほど多い。さらに、庶民は好奇心が旺盛で、物見湯山を含め情報を渇望していた。その知識欲を満たしてくれるのが書物を扱う貸本屋であった。

貸本屋が出てくる落語に「品川心中」主人公は「金ちゃん」品川の女郎「お染」誑かされて、心中をしそこなうドジな奴。

一方「紙入れ」の「新吉」良い男だが気が弱い。得意先のかみさんに可愛がられ、亭主が早く帰って来たために・・。

落語長屋かわら版  発行日 十七年長月吉日

編集人 落語長屋かわら版井戸端会議 小言幸兵衛