着付けの仕事を続けさせていただいて、ただ思うことは、幸せだなーということ。(笑)

以前、母が着物を誂えてくれて、習い事をさせてくれ、私は好き放題したくせに、ものにならなかったのを申し訳なく思っていました。投資してもらったわりに不出来でありましたので、母に申し訳ないと伝えたところ。「私が楽しかったんだから、構わないのよ。」と言ってくれました。ありがたい言葉です。こんな言葉を、潔く言える人はかっこいい!(笑)

三人目の子供が生まれたのを見届けるようにして病気になった母に結局何もできず。親不孝なままでしたが、甘ったれの末娘の気質は変わることなく。母に甘えたい気持ちを永遠に持ち続ける自分がいます。

そんな母が昨年亡くなり、病気の間じゅうなにもできなかったからと、沢山の人との巡りあいを、仕事を通じて母がもたらしてくれているような気がしてなりません。いつも、そばにいると感じます。お客様のところにいき、言葉を交わし、大切な方の着付けをさせていただくと、不思議と私の母を近くに感じるのです。

着付け師をご自宅まで呼んで着付けを依頼されるのは、大切な方を美しく着せて欲しい、大切な方のために装う、また、自分にとって大切な場にでたり、大切な方に会うために装うのです。時には、大切な方を見送ることもある訳です。

何百回着せようと、変わらずいつも、お客様のおうちの前まで来ると緊張します。あまりに顕著なので、早く着くようにし、気持ちを落ち着ける時間を設けています。

でも、お客様にご挨拶をするときには、すっかり落ち着きます。着物を前にすると、どのようにお着せするか、頭が一杯になるせいもあるのでしょう。何よりも、お着せするときに感じるのは、「護り」なのです。お客様をお守り下さっている方々。私を守ってくれる方々。

大切な方々を守る心が文様となり、染めとなり、織りとなり、家紋となり、着物の美しさになっているのだと思います。アナログな部分が多く残され、最終的に着付け師に任されるのが、着物。

昔、お琴を習っていた先生は一流のかたで、同門の方々は、芸大に進み、何人も演奏家として活躍されています。門下生を抱えて、自信に満ちた美しい着物姿を拝見するにつけ、芸一筋に歩まれた人の尊さを思います。若い頃の夢を追い掛け続ける彼らの姿を、今は影ながら応援させていただき、私も少しずつ、精進していこうと思います。