鶴見の一戸建てスタジオに時折仕事でいくのですが、この町の商店街は、面白いです。中古呉服屋さんも、古本屋さんや、手作り品のアンテナショップや、地域のコミュニティサロンも。あー寄り道の誘惑に負けてます。

その中に西田書店という古本屋さんがあるのですが。ここが素晴らしい。古い美術などの専門書がずらりと並びます。特に書道の専門書は充実しています。大きな明るい古書店もいいですが、昔ながらの古本屋さんの独特な匂いが好きで。時を忘れてずっと居たくなります。遠い記憶の中に、高校の帰り道に寄っていた古本屋もこんな感じで、はだか電球に照らされた古本は、歳月を経て生まれる風格を持っていて、ハードカバーに、箱がついていて。さらにうやうやしく包まれたパラフィン紙、恐る恐るよれないように取り出して、ワクワクしながら開いたものでした。当時は内容よりも、茶色に変色した古い本自体に引かれたといいますか。この辺は、たとうしに包まれた古い着物を、開く時のときめきに似ています。

古書店で、巡り会うのは、本だけではなく過去の自分自身であったりするのかもしれません。

西田書店の店のかたの言葉を借りれば、本が人を選ぶそうで。本が選んでくれたなんていったら光栄の極みといった本にも巡り会いました。

胸に抱えてレジに持っていったのは、この二冊

絹の再発見と江戸服飾史

この本についての感想は、また別に記そうと思います

ڍׂ͂

友人のお子さんが、紬ちゃんというお名前でして。お母様に、聞いたところ、皆の心を紡いで繋げてほしいと願われて名付けたとのこと。私、そういえば、紬ちゃんとつけたいなー、と考えたことがありました。可愛いお名前です。

紬は、養蚕のされているところならば、それこそあちこちで作られていました。飯田紬、松本紬、上田紬、紅花紬、有名どころでは、結城紬などなど。大島は正確にはつむぎ糸を使わないので。絣なんですね。大島紬と呼ぶ習わしがあるのは、かつては、つむぎ糸を使っていたらしいのでその名残でしょうか。かつては屑繭から取られた糸から作った自家用のための着物。

お湯で繭をほどいて、真綿状にして、そこから糸を紡いでいく。一本の糸に紡いでいき、絣糸を作り、機にかけ根気強く織り上げていく。織り上げられたばかりの紬は、硬く馴染みが悪いが、着ているうちに柔らかく温かく身を包む。何度も洗われるうちに、やがて紬は、元の真綿に戻るという。揉まれて、弱るのではなく、しなやかな強さと、温かさと優しさを増すのです。

紬は人の一生にも似ている気がしていて。義母にも、母にもそんなことを話したことがありました。

私の晩年の母は、いつも、菩薩のように微笑んでいました。童女のようでもあった。

話したいこと沢山ありましたが、長いこと母の言葉を聞くのは叶いませんでした。

その声を聞きたくて、着物にもう一度向き合いました。不思議なもので、そうしているうちに、お仲間が増えた。素敵な方々に会えました。今はゴワゴワで、でこぼこでも、飽きずに人生を着ていれば、いつか柔らかい、優しい人間になれるのかしら。いや、まだまだです。(笑)

ڍׂ͂