いくら話しても尽きぬ着物談義は時折深夜まで、なんてこともございまして。

いつも、夢見るような大きなことを、酒を飲んでる訳でもない癖して、語っております。でも、双方下戸。シラフでも、広げております。大風呂敷を!!

上を見れば大御所の沢山いる着物の世界、うっかりしたことも、いえませんなあ。と、思ってはいるのですが、半ば、何があっても怖くない年齢に私も差し掛かっておりますこともあり、好きなように楽しく仕事させていただいています。年取るって素敵!と思う今日この頃。

さて、いつも無駄話に付き合って下さる

女神のよーな方は、きものこころねの白木さんと言います。

東京に着付け教室を持ち、お弟子さんも沢山育てておられます。しかも、若くて美しいのです❤️

僅か知り合ったのは、二年半前のことでございますが、沢山助けていただきまして、私も少しはお役に立てたなら嬉しいと思っています。若くて眩しすぎるお弟子さん達を見ていると私も嬉しくて、 ひたすら着付けが楽しくて嬉しかった日々を思います。良き先輩方に、楽しさを教えて頂いた。その親交は、未だ私の仕事の根幹でもあります。

良い着付け師さんの特徴は、どんな小さなものでも、手を抜かず、確実に決めていきます。入念な準備を怠らず、人に伝えることもとても上手です。私自身はいつまでも、道半ばですが、皆さまと、共に進んでいけるようにしたいと思います。

こころねさんと着付け師会を立ち上げることにいたしました。現場に出ながら、学んでいけるように、また、更にお仕事も受けて行けるようにしていきます。

 

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長いことこの仕事を続けて来ましたが、色々とあり、時折続けていくことが、困難に思えることもあります。支えてくださる方が居て、時にお客様に支えられて、固い信頼関係を結んでいって、少しずつ進むことができる。決して私だけの力で成し遂げられることはありません。つつがなく、仕事をしていただけるように、環境を整えていくのも、私の役割になるのでしょう。

命をかけて生み出される一本の糸から始まり、縦と横の糸により織りださせる布の世界は、人の一生にも似ています。

私の、友人のお母様は、人生の旅立ちの時に、一枚の着物を掛けてほしいと、エンディングノートに書き記していたといいます。葬儀までの間がなく、そのノートの存在に気づいたのは、葬儀を終えた後だったとか。形見である着物を纏って旅立てば、お母様(友人のお祖母様)に直ぐに見つけていただける。そう思ってのことだったらしいのですが、着物を棺の中に入れることが出来なかったのです。

「その、着物が無くても直ぐに見つけてくださるわよ。心配いらないわよ。母娘だからね。」

「そうね。だから、私が旅立つ時にその着物を掛けて貰おうと思って。」

亡くなる直前まで、日常生活を普通に送り続けたしっかりもののお母様の元に、友人が駆け寄っていく姿が浮かんできて、微笑ましい光景だと思ってしまいました。

着物の結ぶ縁というものは、人の数だけ、着物の数だけあるもので、生まれてはやがて消えゆく宿命にある一生を彩る美しきもの。

私はその美しく不思議な縁を、今後も結んで行けたなら幸いに思います。

 

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