着物というものは、人に対する思いを表すものでもありますが、近しい親子なればこそ、すれ違いが生まれることもあります。祝い事に晴れ着を着せることは、時に数年の時間をかけ、準備をしていきますが、その通過儀礼の本当の意味は何だろうと、わたしは何時も考えているような気がします。親のこころ子知らずといいますように、結局わからぬまま、彼岸に渡った私の両親。

この仕事を続けているのは、時折幻の蝶を追いかけているような気持ちになります。色々な意味でも、消えつつ有るものを追いかけているような世界で。砂時計の、砂のように流れていくとらえどころのないものを、一生懸命に形にしようとしている。そんなとき、西条八十のこの詩が浮かびます。

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持つて行かう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
さうして渡しながら言ふだらう。

 一生を
子供のやうに、さみしく
これを追つてゐました、と。

 

ڍׂ͂

最近は、多方面からお声がけいただきますが、頼りがいのあるスタッフに、任せていける部分が増えて、本当にありがたい話ですが、徐々に理想的な形になりつつあります。全体的に、俯瞰して見ながら、采配をふるう人がやり易いようにするためには、一歩身を引いて任せるようにしていく必要があります。

忙しさに目が回るということもなく、次にやっていくことを考えていけたり、やってきたことを整理をしたりしています。

そんなことをしていく傍ら、最近はよく、生徒さんからレッスンの依頼を頂くようになりました。私に余裕がないと出来ないのが、着付けのレッスンでもありまして。いつの間にか、クローズドに近くしていた、私には原点の仕事です。

数年来の、友人であり、妹のようであり、娘のように感じる生徒さんの、人生と共に輝く着物姿。明るい笑顔で、お母様の十日町紬を身にまとい、着物から作られた、可憐な帯を選び。いつの間にか、センスよく小物も選んで、お母様が愛した絵の前でパチリ。何があっても、困難なことがあっても、しなやかな心で、乗り越えていくそんな姿がいとおしく、沢山の笑顔と幸せが、これからも、彼女と共にあってほしいと願います。

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