2019年10月7日幻の蝶を追いかける
着物というものは、人に対する思いを表すものでもありますが、近しい親子なればこそ、すれ違いが生まれることもあります。祝い事に晴れ着を着せることは、時に数年の時間をかけ、準備をしていきますが、その通過儀礼の本当の意味は何だろうと、わたしは何時も考えているような気がします。親のこころ子知らずといいますように、結局わからぬまま、彼岸に渡った私の両親。
この仕事を続けているのは、時折幻の蝶を追いかけているような気持ちになります。色々な意味でも、消えつつ有るものを追いかけているような世界で。砂時計の、砂のように流れていくとらえどころのないものを、一生懸命に形にしようとしている。そんなとき、西条八十のこの詩が浮かびます。
やがて地獄へ下るとき、 そこに待つ父母や 友人に私は何を持つて行かう。 たぶん私は懐から 蒼白め、破れた 蝶の死骸をとり出すだらう。 さうして渡しながら言ふだらう。 一生を 子供のやうに、さみしく これを追つてゐました、と。